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Shozo Shimamoto
嶋本昭三

1928年 大阪に生まれる。
1950年 関西学院大学文学部卒業。
このころ新聞紙に複数の穴をあけた作品《穴》を発表。
1954年 「具体美術協会」の結成に参加、以後中心メンバーとして活躍。
「具体」という名の提案者。
1955年 第1回具体美術展(小原会館・東京)で体感型作品《この上を歩いてください》を発表。
1956年 野外具体美術展(芦屋公園・兵庫)に出品した「大砲絵画」をきっかけに、トレードマー クとも言うべき、瓶詰した絵の具を画面上で炸裂させる手法をあみ出す。
1957年 舞台を使用する具体美術で日本におけるミュージック・コンクレートの先駆的な音響作
品を試み、ポンピドゥーセンター(パリ)に所蔵。
1970年 万博博覧会お祭り広場1000人花嫁のアートのプロデュース。
1975年 アーティストユニオン(現・AU)に参加。翌年、全国合議体事務局長に就任。
1976年 メールアートを本格的に始め、年間60ヶ国のネットワーク交流を持つ。
1992年 日本障害者芸術文化協会の会長を務め、海遊館(大阪)で日本初の障害者の大規模芸術展 を企画。
1996年 広島に投下した原爆製造の原子物理学者バーン・ポーターが来宅し、以後平和運動の推 進者となる。 1997年 アメリカ芸術大学の教科書『Art HISTORY』(ABRUM社)に明治以降ただひとり日本人 で名が掲載。
1998年 アメリカMOCA「戦後の世界展」にポロック、ジョン・ケージ、フォンタナと共に世界     
4大アーティストの一人に選ばれる。
1999年 紺綬褒章受章。
デヴィット・ボウイ、オノ・ヨーコと共に再びヴェネツィア・ビエンナーレに招待出品。
2013年 死去(享年85歳)。

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嶋本昭三は具体美術協会の創設メンバーであり、「具体」の名付け親としても知られる。「具体」を世界の舞台へ昇格させるべく、機関誌『具体』を刊行、世界中の美術関係者に郵送して交流を図った。この行為は、後に「メール・アート」と呼ばれるムーブメントへと拡大し、国を越えてアーティスト同士が相互に作品を送り合うネットワークの形成へと発展していく。
また、筆という一般的な道具を用いた表現方法から離れ、大砲から絵の具を発射して描く「大砲絵画」などによって、画面を破壊するようなアクション(行為)そのものが、制作者の意図を超越することを提示してみせた。直接的なアプローチに新たな価値を見出した嶋本は、強い偶発性を必然とする表現を模索し、1956年には塗料を詰めた瓶を画面に投げつけ、粉々となった瓶の破片や画面上に分散する塗料の跡をそのままタブロー作品にする「ビン投げ」パフォーマンスを発表する。第45回ヴェネツィア・ビエンナーレ(93年)等、国内外の美術館やアートプロジェクトに招致され、晩年までこのパフォーマンスを披露し続けた。
世界最小のアートと呼ばれる「ナノ・アート」、生身の女性の身体による「女拓」、自身の坊主頭へ次々と絵やメッセージを描き出す「スキンヘッドアート」等、数々のユニークなアイデアで作品を発表し続けた。数々の実験的な手法により、常に自他の範疇を飛び越える作品を発表し続けた彼の制作生涯は、「誰もやったことのないことをやれ」という「具体」精神をまさに体現している。